2018 |
06,28 |
裏には仕事をしている人間が多く、表はそれを楽しみに来ている人間が多い。ユイは、仕事をしているし、表を歩く人間は、ユイのような存在を虫けらのように扱う人間も沢山いるからだ。
いつものことだが、少し離れたところから怒号が聞こえた。何人もの怒鳴り声と、獲物だろうか。泣き叫ぶ声、肉を打つ音が聞こえる。
リンチか――?
暴力は好きじゃない、というか嫌だ――。裏の世界に慣れたといっても、痛そうな声を聞けばゾワリと背中があわ立つし、殴ったり蹴られたりという音には身が竦む。
それはユイが女だからだろうか?
答えは出ないが、近寄らないようにしようと道を曲がる。
「えっ?」
ドンとなにかにぶつかってユイは立ち止まった。裏道の狭いところから広いところへ合流する辻だった。
失敗した――。
離れたつもりが、近寄ってしまったらしい。
ユイは、自分の運の悪さに頭がクラクラした。
「……ユ、ユイ・サルドル……」
そこには昼間見たメイヤー先生ことボロ雑巾が、下からユイを見上げていた。その顔は既に青か赤かわからないくらいアザだらけで、昼間の清潔感が服をきているといった印象は全くなかった。服もあちこち破れて、泥と血液にまみれていた。
「メイヤー先生……」
呆然とユイが呟くと、メイヤーはユイの足にしがみついた。
「わ、私は……」
何かを言いかけて、無駄だと悟ったのか、大人の顔を脱ぎすてて、ユイにすらすがるような瞳を向けてきた。後ろから追いかけてきた男達は、ユイをみて、一瞬立ち止まった。
「面倒くさい……」
ユイの呟きが、メイヤーの羞恥心をえぐったのか、立ち上がって逃げようとする。だが、ユイをみて立ち止まった男達も逃がす気はなかったのだろう、メイヤーを引きずり倒した。
メイヤーは、先程は何事かを叫んでいたはずだが、ユイを見てからはみっともなく泣き叫ぶことはなかった。
この人、プライド高そうだもんな。
ユイは、学校でのメイヤーを思い浮かべた。
「ユイ、お前知り合いか――?」
男の一人がそう聞いてくる。
「学校の先生――」
教官室でいってあげたのに。夜のグルハ橋は危険だと、教えてあげたのに、無駄だったなと一人で呟く。
「そうか。見なかったことにしとけ。そいつは、うちの男娼を二人つぶしたんだ。一人目のときに、注意したんだぜ。薬を勝手に持ち込むなと」
男の目が剣呑に光る。そういえば、この男は男の娼館の支配人だったっけと、思い出す。
ユイは、迷った。正直好きな先生というわけではないし、薬で潰したということは、下手したら相手は死んでいる。そんな人間を助けることが、果たしてユイにとっていいことになるのかと、計算する。
迷いながら、声を出そうとした瞬間に、不釣合いに暢気な声がユイを捕らえた。
「ユーイ。こんなところで何してるんだ?」
ここにいる男達の中で一番背が高く、顔が良く、良い物を着ていて、危険な男。それが、声を掛けてきたオスカー・クラウス・クーゲルだった。
間近に寄るまで気配なんてなかったのに、その男は気がついたらユイの後ろにいた。後ろにひかえている男達も確実にこのあたりの雰囲気を変えた。
裏の世界に住むものでなくても、ここが危険な場所になったことは空気で分かるだろう。
「オスカー……」
ユイは呆然とその男を見上げる。
これは、もう運命としか言えないな……とユイは諦める。
先生は、ユイに会う。
ほっとけば死ぬだろう。
支配人は言った「見なかったことにしとけ」と。それは、父を捜し求めるユイには禁句だった。見なかったことにされているから、父は見つからないのではないか。自身も見なかったことにされかけたことも何度もある。
そして、ここにオスカー・クラウス・クーゲルが通りかかって、ユイに声を掛けた。
ユイには、面倒くさくてたまらないが、先生は運命に勝ったのだ――。
ただし、命だけ――。
ユイは、ここから自分がどうすればいいか考える。
運命は、決して甘くはない。そして、ユイはそれを知っていた――。