2018 |
06,19 |
夜は危険だ――と九歳までは思っていた。実は昼も危険だということを知ったのはその後、父親が突然失踪した時だった。
父親はなんの形跡もないまま、消えた。朝ご飯を食べて、「いってきます。今日は遅くなるかも」と言って仕事にいったはずだった。ユイが五つのときに母親は流行りの風邪であっけなくいなくなってしまった。両親に親戚はいなかったから、ユイは本当に天涯孤独になったのだった。
「ユイ。ほら、弁当だ」
朝仮眠した後、食堂の主人であるガルムがユイのお弁当を渡してくれる。
「ありがとう、いってくるね」
学校へいくことを止めなかったのには、わけがある。
ユイがどんなに探しても見つからなかった父親を探すために、役人になろうと思ったのだ。
もし、父親が亡くなってしまっていて、その頑張りが無駄になったとしても、自分のようにいきなり天涯孤独になる子供を護る仕事がしたかった。
食堂で働いて、ガルムのようにユイを助けてくれるような人になるのもいいが、それでは助けれる数に限りがある。だから、役人になりたいと思ったのだ。
ユイは頭がいいといわれていたから、学校さえ卒業できれば、夢にたどり着けるような気がした。
ユイが女の子らしかったとき、沢山の友達がいた。いつも友達が側にいて、寂しいと思うこともなかった。
けれど、ユイが男の子のような格好であまり綺麗に着飾らなくなったら、友達は激減してしまった。そして、ユイが夜の食堂で働いていることがばれたら、すっかりだれもいなくなってしまったのだった。ただ一人、変わり者のシリウスを除いて――。
一人は寂しい。お父さんが、生きているなら、寂しくなければいい……例えユイの側にいなくても。
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「ユイ・サルドル、授業が終わったら教官室にきなさい」
ユイは授業の合間はいつも寝ているのだが、呼び出しをくらってしまった。なんだろうと思う。まぁ呼び出される原因なんて、いくらでもある。そういう諦めは、もう既についていたが、足は重くなる。
思ったとおり、夜の街で働くのはいかがなものか、もっと勉学に専念しなさいと、言われてしまった。
親切という真綿で絞め殺されそうだとユイは思う。この真綿のいただけないところは、言ってる本人が本当にユイのことを思って言っているとおもっていることだろうか。
働かなくては食べていけない――、裕福な家で育って学問を愛する先生には、そんな単純なことも理解できないのだ。
「メイヤー先生、すいません。お昼ごはん、食べれる時間がなくなるので、失礼します」
ユイがそういうと、メイヤーは鼻白んだようだった。眼鏡を軽く上げて、嗤う。
「いつまでここにいられるのか楽しみですね」
「そうですね、先生も気をつけたほうがいい。夜道は大人の男だからといって、安全とは限りませんよ。特にグルハ橋の辺りは危険だといいますから……」
メイヤーが目を瞠るのをおかしく思いながら、ユイは真面目な顔で教官室をでた。
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娼館が並ぶその通りはグルハ橋がある。この橋が下町と裕福な者たちの境界線だろうか。
グルハ通りはその橋からのメインストリートで娼館が多く立ち並び、実は裕福な者たちが夜に遊びに来ることが多い。その娼館と娼館の間に門しかない隙間のような場所があって、そこは男が男を買いに来る場所だった。
ユイは百合の館だけでなく、あちこちの娼館に出前を運ぶ。勿論娼館にも食事処がないわけではないのだが、味は二の次の店が多く、『真夜中のシチュー』に出前を頼む娼妓なども多かった。
ユイが初めて男が娼婦のように客をとる店に行ったのは、『真夜中のシチュー』で働きはじめて、半年ほどたったときのことだった。
もう既に疲れた少年のようだったので、男娼のいるこの店に入ったときには、えらく勧誘されてしまった。それでもユイが「女だ」というと、意外そうな目でみられたり、哀れみの目で見られたり、あんまりいいことはなかった。
ただ、既に半年の苦労の末にそれくらいで傷つくような心は持ち合わせていなかったが。
「おまえは……もうちょっと身なりに気を使えよ。もう十四だろ。後二年もしたら、結婚できる歳なんだから」
胸、絶壁だけどなと笑う。
「アンディも絶壁だろ」
と言うと嫌な顔をされてしまった。
「お前、気持ち悪い事言うなよ……俺の胸が腫れたら、それやばいじゃん!」
こんなアンディも実は人気なのだ。いつも綺麗な服を着て、綺麗な手でユイの持ってきた食事を食べている。
ユイは特別なので、こんな夜のかきいれ時に人気の男娼の部屋に来ても怒られることはない。勿論客はいなかったが。
「お前、そのまま薄汚いまま、嫁にいくのかよ」
薄汚いといわれて、反論することにする。
「ちゃんと風呂は入ってる。手も洗ってる。ガルムさんに怒られるもん」
手を見せると、「そこに座れ」といわれてハンドクリームを塗られる。
「お前の手、女の手じゃねぇだろ」
アンディのほうが、綺麗な手をしている。顔にしろ肌にしろ手にしろ、ユイのほうが負けてるのは確かだから、それ以上なにも言えない。
「――働きものの手だ……」
何も言わずされるがままになっているユイの髪も梳いて、アンディは最後になぐさめるように、小さく呟いた。
「絶壁だけどな!」
「一言多いわ!!」
脛に蹴りをいれると、アンディは笑いながら、ユイのこめかみをグリグリと抉った。
「いたっ! アンディ、明日の晩御飯にはピーマンとニンジンいれてやるからな!」
アンディは、嫌なそうな顔で「すみません……それだけは……」といった。
ユイは、アンディの食べた後の食器をバスケットにいれて、謝るアンディに手を振った。
「またな」
「気をつけて帰れよ」
ユイが手を振るのをアンディは、笑って見送った。